【首里城】の歴史について知ろう

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10/31に沖縄にある【首里城】で火災が発生
しました。

沖縄のシンボルでもあるといえる【首里城】が
燃えていく映像に、とてもショックを
受けました。

【首里城】は世界遺産としても有名です。

【首里城】の歴史について知って
いくことにしましょう。

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【首里城】とは

【首里城】は、現在の沖縄県那覇市首里に
あったグスク(日本本土でいうお城のこと)
で、別名【御城】(うぐしく)とも
呼ばれます。

築城の年代や築城主はわかって
いませんが、発掘調査などの結果から、
13世紀末から14世紀には存在していたと
推定されています。

【首里城】の歴史

1429年、尚巴志(しょうはし)が
当時「南山・中山・北山」の3つに
分かれていた国を統一して琉球王国が
誕生すると、【首里城】は琉球王国の
王城として、「政治・外交・文化」の
中心地となります。

尚巴志による統一王朝が成立した
約40年後、農夫出身の金丸(かなまる)が
起こした武力行使により、新王朝が
誕生します。

政権を奪取した金丸は尚王家を継承して
尚円王(しょうえんおう)と名乗り、
【首里城】も引き続き尚王家の居城と
して使われました。

琉球王国の歴史の中では唯一の大きな
政権交代であったということで、
尚巴志からの王朝を第一尚氏王統、
尚円王からの王朝を第二尚氏王統として
区別しています。

第二尚氏王統は以後19代、約400年に
渡って続きます。

しかしその間、1609年に薩摩藩
(現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部)
が琉球王国に侵攻し、以後270年間薩摩藩の
支配下でありながら、中国にも属し、
なおかつ徳川幕府に朝貢する国である
という立場の中で、琉球王国として
存続していきます。

しかし1879年、明治維新によって成立した
日本政府は琉球王国に侵攻、
第二尚氏王統第19代の国王であった
尚泰(しょうたい)に東京居住を命じ、
琉球王国は滅亡の時を迎えました。

【首里城】は長い歴史の中で
何度も改築再建されている

【首里城】は今までも琉球王国の
時代から、度重なる火災によって
焼失と改築・再建を繰り返していました。

第二次世界大戦中の沖縄戦の際には
完全に消失してしまい、【首里城】一帯は
焼け野原となってしまいます。

【首里城】は世界遺産

1992年、【首里城】は復元され、

2000年には、【首里城跡】として、
【琉球王国のグスク及び関連遺産群】
の名称で世界遺産に登録されています。

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